本傳寺の縁起
本傳寺の縁起
安土桃山時代後期、太閤豊臣秀吉が大阪城を築城してよりおよそ5年後である、文禄年間(1592~1596)に、京都大本山本圀寺第16世 究境院日禛上人の法子である、佛乘院日政上人が現在の地に開創しました。 開創後、度重なる大火災に遭うことにより細かな寺歴を記した資料などが焼失されてしまいました。しかし、江戸時代元禄年中(1688~1704)には第3世日威上人が、江戸時代文化年中(1804~1818)には第13世日専上人が、天保年間(1830~1844)には第16世日道上人が、それぞれ並々ならぬ努力と法華経弘通の信念により再建されたと伝え聞いています。 しかし祝融の災いは続き、昭和20年には第二次世界大戦中の大阪大空襲による戦災により経蔵を残し全焼。後、第21世行妙院日学上人が再建。現今の堂宇は宗祖日蓮大聖人700遠忌記念事業として、先代住職第22世瑞妙院日顯上人が改築。 しかし、平成7年に阪神・淡路大震災の発生により境内墓地墓碑倒壊など甚大な被害に遭うも、同じく平成7年開創400年記念事業として現董第23世順延院日豪上人が増築・墓碑区画整理などを行い現在に至ります。 当山には華道の一派であります未生流の流祖、大空院殿法眼未生翁大居士のお墓があります。また、全国の未生流の歴代師範の方々を供養するための供養塔もあります。 また、新撰組槍術指南役や第7番隊隊長を任された谷萬太郎や、新撰組局長近藤勇の養子となった周平こと谷昌武、二人の兄である谷三十郎の新撰組有縁の谷三兄弟も境内墓地に眠っております。